そのほか

辺境のトイレ紀行|第2回セネガルで出会った人々とトイレ

上 幸雄
上 幸雄
NPO法人日本トイレ研究所 理事

2020/09/10

国や地域によって様々なトイレがあります。登山と自然環境を軸に、“辺境”のトイレを紹介する連載、第2回は西アフリカ、セネガルのトイレです。

セネガルの旅―パリ・ダカの記憶をたどりながら

セネガルと聞いても、その国がどこにあるのかを知る人はあまり多くないのでは。でも、“パリ・ダカ”と言われると、一定の年齢以上の人なら、ピンと来る人は結構いるかもしれない。パリ・ダカとは、すなわち “パリ・ダカールラリー”のことだ。ラリーはパリを発ち南下して、地中海を渡り、アフリカ・アルジェリアに上陸すると、そのまま真っすぐ南下して、サハラ砂漠を縦断する。砂漠の中央部から今度は真西に向かい、セネガルの首都ダカールを目指す。

さて、ダカールに話題を戻すとアフリカ大陸が西側で大きく膨らんだその真ん中の先端に、まるで乳首のようにちょこんと突き出たところにある。世界一過酷なレースといわれていたパリ・ダカは今はもう開かれていない。コース上の政治情勢が不安定で、開催が危険との判断からだ。余談だが、“パリ・ダカ”は今もそのまま名前だけ残し、南米やサウジアラビアで開かれているそうだ。

私自身のセネガル旅行の目的は、もちろんパリ・ダカとは無関係。『奴隷貿易』とセネガルの世界遺産に関する調査であった。ダカール沖合に浮かぶゴレ島は、かつて奴隷貿易の重要な拠点であった。その悲惨な歴史から世界遺産として“負の遺産”にも登録されている。西アフリカで16世紀から400年もの間、激しく吹き荒れた奴隷貿易については、別の機会に紹介することにして、ここではセネガルの農村や世界遺産を訪ねながら、そこで見かけたトイレを紹介する。

ニオコロ・コバで杵つき体験をさせてもらう(中央・筆者)

セネガルに世界遺産を訪ねる

ダカールから東へ向かう。目的地はセネガル共和国の南西端にある世界自然遺産のニオコロ・コバ国立公園。ライオンやゾウ、キリンなど大型野生動物も生息する西アフリカ随一の野生の王国という触れ込みだ。公園のすぐ西はマリ共和国との国境になる。ダカールから650km。早朝出発して、公園の入り口に着いたときは陽はだいぶ傾いていた。

道中は落花生畑やバナナ畑、巨大なバオバブの木が林を作る集落、5,6棟のハットが中庭を囲むようにして建つ農家など、どこへ行っても飽きない自然の風景や人々の生活ぶりが広がる。ニオコロ・コバ国立公園の正門脇の農家では、女性が主食のメイズを臼と杵で粉に挽いていた。

ニオコロ・コバ近くの農家の団らん

ニオコロ・コバ国立公園は世界遺産とは名ばかりで、正門の案内看板はさび付き、小さな川に架かるつり橋は壊れて渡れない、メインのゲストハウス兼食堂だけは、何とか食事もでき、機能していた。期待していた野生動物との出会いは、サルやシカ類くらいだった。そのことを公園管理官に話すと、「たったの2泊3日で、そんな期待をする方が間違っている。2、3週間滞在して、もっと公園の奥地に行かなければ無理」とこともなげに言われてしまった。

ニオコロ・コバ国立公園の正門

その挙句に、檻のなかでリハビリ治療中のヒョウ見学に案内してくれた。「これじゃ上野動物園と同じだ、と心のなかで叫んでいた。」それが親切心からなのか、嫌みなのかは分からなかった。日本人的旅行感覚でアフリカ大陸を満喫するのは、端から無理のようだった。

トイレは、ゲストハウスやホテルには建築当初のトイレが維持されていたが、そこ以外には見つけることができなかった。外国からの観光客もそれほど多くはない様子なので、そんな状況で何とか対応できていると勝手に理解した。

農村地帯の住宅とトイレ 

一般的な農家を訪ねたいとガイドに依頼した。快く引き受けてくれて、ドライブの途中でよろず屋に立ち寄る。引き受けてくれた家へのお礼の品を買うのだという。店から出てきたガイドはスナック菓子の袋を山ほど抱えていた。全部で400円くらいだった。それをもって、街道沿いの家に入る。もちろん、予約などはするはずもない。
その家の主婦らしき女性に見学をお願いすると、主人は留守だが、いいよと了解してくれた。菓子の袋を渡すと、老人や子供たちが7,8人ぞろぞろと出てきた。ジャンボ ハバリガニ(スワヒリ語で、「やーこんにちは」)。皆笑いながら首を横に振っている。もちろん通じない。東アフリカのスワヒリ語がここで通じるわけがない。でも、みな、あまり警戒心はなく、とても友好的だ。

農家の小便用トイレ

主婦の案内で、夫婦、子供、両親、食堂、厨房など、中庭をぐるっと囲み建つ各部屋の使用(者)を教えてもらう。ガイドによるとかなり裕福な農家のようだ。各部屋(ハット)を覗きながら、トイレはどこと聞く。ハットの裏手に回るとトイレがあった。

そこは小便だけで、大便は家の敷地の周りを囲った柵の外で用を足す。大便は野生動物が処分してくれる。だから、夜は危険なので柵の外に出て、用は足さないと言っていた。でも、この方法ならトイレは衛生的で、しかも合理的だ。

さらに車を走らせると、中央に井戸がある大きな広場が目に入った。周囲には何軒もの家が建ち並ぶ。早速、立ち寄ってみる。主婦や子供たちが水汲みに励んでいた。といっても、つるべにつなげたロープをロバが引く。ロバが井戸から、およそ30メートルも引いたところでロバが止まった。30メートルの底から水が汲みあがったようだ。

井戸の周りで主婦たちは水汲みとおしゃべりで忙しい。女性のおしゃべりは世界共通だ。それに、都会でなくて農村なのに、皆とてもおしゃれだ。彩豊かな柄のワンピースにスリムな身を包み、乾ききった大地をさっそうと歩くと、それが実に良く似合う。

井戸端の女性たち
井戸端の子どもたち

ニオコロ・コバで出会った農家の主婦たちとは明らかに違う種族のようだ。サハラ砂漠西部に住むハム語族系のフラニ族と、サハラ南部から東アフリカに住むバンツー語族系との違いだろう。体つきも違うし、顔立ちも違う。日本人と朝鮮人、中国人が違うのと同じことだ。アフリカ人とひとくくりにすることが間違いのもとであることを改めて理解する。

世界遺産サン・ルイとジュジ国立鳥類保護区

ジュジ鳥類特別保護区のトイレ

セネガル共和国の一番北にあって大西洋に面しているサン・ルイ(サンは英語でセイント、つまり聖、ルイはフランスの太陽王と言われたルイ14世からとったという)は、17世紀には港が開かれて、北アフリカでのヨーロッパ諸国との貿易の中心地として栄えたが、ダカールが首都となってからはさびれて見る影もない。それでも、奴隷貿易やゴム、象牙などの熱帯特産品などの取引が盛んだったころの面影を、今も街中の至る所に残している。

街の中心市街地で、赤や黄色に塗られた壁や商店が軒を連ねるアーケード下を歩くと、奴隷貿易の悲惨で壮絶な歴史とは裏腹に、貿易港として栄えた頃の活気が見えてくるようだ。フランス語で書かれた店の看板や案内板がセネガルの歴史を物語る。サン・ルイ島は、ゴレ島と同様に島そのものが“負の遺産”に登録されている。

ジュジ国立鳥類保護区 の案内板

サン・ルイ島とジュジ国立鳥類保護区は、共に世界遺産に登録されてはいるが、どちらの世界遺産も案内看板からしてさび付き、設備は壊れ、それらを訪ねる観光客もあまり見当たらず、何ともわびしい状況だ。どうやら、セネガルの世界遺産はゴレ島だけが関心を集め、観光客を呼び寄せているようだ。

上 幸雄
上 幸雄
NPO法人日本トイレ研究所 理事

大学卒業後、水質汚染、廃棄物などの環境問題に関する編集や調査に関わり、環境・公害問題専門誌の編集、廃棄物・トイレ・自然保護活動に取り組む。国際会議の開催や各国でのトイレ調査を実施し、国際的なトイレ・衛生改善運動の端緒を開く。2001年には、べトナム・ハノイでのWHOアジア地区会議に参加し、途上国トイレ改善キット(エコロジカルサニテーション)開発・普及に関わった。著書に『ウンチとオシッコはどこへ行く』(不空社)、『生死を分けるトイレの話』(環境新聞社)、『トイレのチカラ』(近代文芸社)。

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