子どものトイレ

学校の衛生環境~トイレと手洗い環境の成り立ち~

西島 央
西島 央
青山学院大学 コミュニティ人間科学部 教授

2020/06/11

日本トイレ研究所では、専門家の方をお招きして、少人数でトイレや排泄に関する勉強会を開催しています。
 今回は、西島央さん(青山学院大学 コミュニティ人間科学部 教授)をお招きし、日本とアフリカ3か国で実施した調査結果を踏まえながら、学校のトイレや手洗い場等の衛生環境についてお話いただきました。以下に要旨をご紹介します。

3つの研究のきっかけ

もともとは教育社会学を専門とし、社会集団における歌や部活動の役割について 社会学的な観点からの調査などを行っていましたが、学校のトイレ環境はどのような過程で整備が進み、現在に至ったのか、また発展途上国における衛生環境に興味を持つようになった3つのきっかけは以下のとおりです。

⑴ある調査中に学校日誌を見ていたところ、昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート製の校舎に 関する記述がいくつかあり、その中で「新校舎の水洗便所で大便をしてはいけないと指導しているのに、今日も何人がした」などトイレを取り巻く記述を目にし、当時の状況が気になったこと

⑵アフリカの医療援助に携わり始めた知人から、近年のアフリカにおいて「一定の学歴のある大人に医療の知識を教えてもなかなか身につかない」という状況を耳にし、教育社会学の中に「ヒドゥンカリキュラム(明示はされていないが、学校生活を送っていく内に身についていく知識や振る舞いがあるという考え方)」という言葉がありますが、日本においても知識が先行し衛生意識が確立されたのではなく、学校での生活を通して、衛生・健康意識が身についていったのではないかと考えたこと

⑶社会福祉学者の阿部彩氏が指摘する「健康格差」がありますが、これは日常における衛生環境および子どもの衛生意識に影響を受けている可能性を感じたこと

日本におけるトイレに関する制度の変遷

 明治22~3年は明治憲法の公布や教育勅語が出るなど、日本が近代国家の形を作り上げた時期です。学校教育に関しても、明治20年代から30年代初頭に現在の礎ができ、学校の作り方も現在と同じような状態になってきました。
 最初は明治23年の小学校令改正があった後に、小学校設備準則という学校建築の決まりの中で、トイレは校舎外で男女を分けて設置するという記述がみられます。その後、明治28年発行「学校建築図説明及設計大要」には、トイレと生徒の割合について、大便所は男子100人に3つ、女子100人に5つ、小便所は男子100人に4つと数の基準が定められるなど、法制度の整備が進んでいきました。他にも健康に関する様々な調査、実験が行われ、子どもの衛生・健康に関する改進が明治後半から大正にかけて続いていました。
  しかし、長野県開智学校における生徒の日々の様子を記した明治40年代の看護日誌を確認すると、トイレが綺麗に使われていないことを示す記述があることから、トイレの整備が進んでいても、当初は生徒の衛生意識は伴っていないことが読み取れます。

手洗い場の整備過程

  昭和初期の資料では、いくつか手洗い場の記述が出てきます。昭和30年代以降に、上下水道が整備され始めましたが、それ以前はどのように手洗いしていたか疑問を持ちました。そんな中、ある小学校に見学に行ったところ、手洗い場がトイレ以外の至るところに点在しているのを目にし、いつから、どういった目的で数カ所に手洗い場を設けるのか疑問を感じました。しかし、図面には手洗い場の記載がないことが多く、研究も進んでいませんし、法制度もあまり見かけません。トイレ環境を整備していく上で、手洗い場の整備もどのように進めるべきかを知っておく必要があるので、今後研究が進んでいくことが求められます。

アフリカ3か国におけるフィールドワーク

文化人類学的な考え方で、発展途上国のトイレを知ることは、日本の昔の学校のトイレを考察していくうえで役に立つと感じ、また衛生環境の整備が進んでいない地域に先進的な事例を導入する際にも、現地を見ておく必要があると感じ、以下の3か国においてフィールドワークを実施しました。

ザンビアでの調査
 首都のルサカで、異なるタイプの6校でトイレ・手洗い場等の調査を実施しました。トイレの種類は穴式、洋式あるいは水洗式に分かれることが分かりました。手洗い場の状況もトイレとの位置関係や水の確保方法が異なり、また水道の状況も管が破損している場合や代わりに井戸水を利用しているケースが見られました。
 授業では、病気と水の関係、水由来の病気の拡散の仕方・対策などを学んでいますが、学んだ知識を実践できる環境が学校に十分備わっていない場合があることが分かりました。

ザンビアの穴式便所の建物とその内部
(提供 西島央氏)

ガーナでの調査
 ガーナでは、ザンビアでの調査によって、いくつかのパターンが見えてきたので、首都ではない都市や郡部の学校を訪れることにしました。
 そこでは、トイレには蛇口が設置されているにも関わらず、たらいの中に水をはり、食事をした後の食器と自身の手を洗っており、食事のときの手洗いとトイレの手洗いとで乖離があるように感じました。
 山間部の学校では、基本的に穴式トイレであり、水洗式のトイレが建設中の状態で止まっているなど、環境の整備が進んでいない様子が見られました。また、水道が通っていないため、井戸水をくみ上げ、ポリタンクに移して使うなど、水も自由に使うことができない状況が多くありました。

給食時の食器と手を洗うたらい
(提供 西島央氏)

エチオピアでの調査
  エチオピアでは首都と隣りの州の学校で調査を行いました。
  首都を離れると、途端に水道が出なくなり、井戸も生徒の落下を危惧し使っておらず、ガーナ同様に水が自由に使えていないように見受けられました。しかし、首都から離れたところであっても、幹線道路沿いに位置する学校では、水道が自由に使えて、水洗式のトイレや手洗い場を設置できていました。

水が自由に使える学校の手洗い場と水洗トイレ
(提供 西島央氏)

衛生意識形成に必要な様々な要素

  日本とアフリカにおける調査を通して、ただ単に学校のトイレだけを綺麗にすればいいわけではないことが分かりました。日本人の衛生意識は、明治30年から昭和にかけて上下水道の整備が進み、様々なものが発展し、組み合わさりながら、徐々に変化を遂げました。その過程を追っていく必要があり、それは途上国に伝えていく上でも不可欠になります。
 他にも、保健室や養護教諭の存在が衛生意識を形成していく上で、どのような影響を及ぼしてきたか考えることも必要です。また、知識を与えれば、すぐに実行できると考えられがちですが、そんな簡単な話ではありません。トイレや手洗い場などの設備の状況や水道の有無が意識や行動に影響します。設備、インフラがあることにより、知識と実践が結びつくのです。

衛生意識形成のループ

 学校におけるトイレ環境の整備は、学校内のみの状況で考えるのではなく、社会全体でインフラが整備されているかどうかも考慮する必要があります。
  インフラの整備を進めるにあたり、子どもに衛生教育を施すという動機では弱く、そこで鍵を握っているのが農業です。社会インフラは、農業を動かさないと、なかなか整備がすすんでいきません。
 このように、衛生意識が形成される過程には、衛生教育の有無だけではなく、トイレ・手洗い場・水道などの施設・設備状況と社会インフラ等の学校外の状況の影響も受けながら、その結果として、社会の公衆衛生状況が決まっていきます。このループ(図1)を繰り返すうちに、レベルが高まっていきます。しかし、このループのどこから動かせばよいかは非常に難しい問題です。

公衆衛生状況への影響ループ
(作成 西島央氏)

今後の日本で進めるべきこと

健康格差の解消
 健康格差は、日本の学校教育研究において、まだ注目はされていません。学力が重視され、健康的な社会状況を作り上げてきたこともあってか、教育諸学者の間であまり関心が健康に向いていないのが現状です。この先、健康格差が注目されてきた際には、学校環境衛生基準をさまざまな領域を含んだ研究者レベルや社会レベルで評価し、見直していく必要があります。
  健康格差を縮めるうえで、学校でできることは何かを考えていかなければいけません。

文化の違いのすり合わせ
  日本において、外国人労働者の増加に伴い、外国人児童も増えてくることが考えられます。加えて、文部科学省は、約2万人の外国人児童が不就学の可能性があると発表しました。
  今後、外国人児童を受け入れていくにあたり、文化の違いがネックになります。衛生や健康についても文化により考え方、ふるまい方が異なります。言葉や法律などはそれほど難しいものではありませんが、生きていく部分については、すり合わせが難しいのです。特に、子ども同士のぶつかり合いは、対処が難しく、今後課題となっていくことが予想されます。

西島 央
西島 央
青山学院大学 コミュニティ人間科学部 教授

東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学後、同大学院助手・助教などを経て、現職。専門は、教育社会学、音楽教育学、文化政策学。学校教育を通しての社会のまとまりづくりや広い意味での規律・規範の形成に関心をもっており、音楽教育の歴史社会学的研究、部活動の社会的役割の研究に取り組んできた。

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