世界には国や地域によって様々なトイレがあります。登山と自然環境を軸に、“辺境”のトイレを紹介する連載、第4回はタスマニア島です。
タスマニアは辺境か
南極に1番近い陸地は、南米大陸の最南端のフェゴ島。そのフェゴ島から南極大陸の北端に細長く延びる南極半島の先端までは、ごくわずかで、南緯50度と60度の間にある。ただし、今回の主役はフェゴ島ではなく、南極からの近さで2番目のニュージーランド南島に続いて、3番目に近い、オーストラリア大陸のタスマニア島である。島の大きさは九州ほどだが、巨大なオーストラリア大陸の南のごく近くにあるため、それほど大きくは見えない。
なぜ南極との距離にこだわるかというと、タスマニアには小型ながらペンギンが生息している。ペンギンと言えば主たる生息地は南極だ。ということで、話のつなぎ方にやや難があるかもしれないが、人の住まない南極にごく近いタスマニアは、まさしく辺境の地ということになる。
その一方で、いくら南極大陸にごく近いからといって、タスマニアを辺境と呼ぶのは、オーストラリアの人にとって抵抗があるかもしれない。なぜなら、オーストラリアは紛れもなく近代国家であり、経済力も十分備えている先進国であることは、同国民でなくても誰しもが認めるところであるからだ。とはいえ、辺境、イコール貧しいとか、後進地域ということではないと思う。
さて、そのタスマニアのトイレ事情はどうだろうか。辺境の観光地として、タスマニアの公衆トイレを取り上げたのには理由がある。タスマニア旅行を経験した故・田部井淳子さんをはじめ何人かの人から、以前、トイレ事情を聞いたことがある。いずれもが大絶賛であった。
“タスマニアのトイレは清潔で、素晴らしい、優れた自然環境とよくマッチしている”、“管理が行き届いていて快適に利用できる。自然環境下でのトイレシステムが完璧だ”といった評価を聴いていた。他人の報告は報告として、いずれは自分の目で確かめてみたいと思っていたからだ。辺境の地かどうかは、トイレ状況に左右されている。
タスマニアの現地に飛ぶ
オ-ストラリアは緯度的には日本とほんど変わらない。時差も1、2時間しかない。ただし、北半球から南半球へと変わり、季節は一変する。タスマニアへ行くにはシドニーかメルボルン経由で入る。どちらから行っても、辺境の地に向かうという気分ではない。
私はシドニーから入った。興味深かったのは機内の飛行コースの案内画面だった。大陸と島との間のタスマニア海峡の画面では、数多くの海域名称が並ぶ。南タスマニア海盆、〇○海峡、〇○海溝、〇○など、・・・。まるで海洋地理学を学んでいるようだ。実際、これをきっかけに、channel とstraitの意味の違いを知った。詳しく名称を並べているのは、この辺りの海域を多くの船が頻繁に航行するからだろうか、とか考えながら、明快な答えが見つからないうちに、タスマニアの首都・ホバートに降りたった。
かつて、南極に2番目に近いニュージーランド南島を訪ねた折、そこの自然公園やクライストチャーチの街なかでも、同じデザインの金属製公衆トイレを見たことを思い出した。
ここのビジターセンターでは、私の感覚からすると、あまりなじめない設備に出合った。公衆トイレの横壁面から上水が出ていて、その水をハイカーがペットボトルに詰めている光景に出会ったことだった。きっと、手洗水としての利用を考えての設備なのだろうが。
2月、季節は夏だ。でも、それほど暑くは感じない。今回の旅行も目的は山登り、自然公園でのトレッキングがテーマだ。その間に、噂の快適なトイレ事情も調査することにした。最初の目的地はマウント・フィールド・ナショナルパーク、ホバートから最も近い国立公園だ。コアラの主食であるユーカリ主体の冷温帯雨林が全山を被う。公園トイレは機能性重視の金属製で、いたずらをしようにもできない感じだ。
監獄遺構と観光地トイレ
オーストラリアはよく知られているように、かつて、イギリスが植民地とした当初は、農業生産に不向きな不毛の土地ばかりということで、流刑地としての利用に充てた。初代総督が1788年に1200名の植民者を伴い本格的に上陸した時、そのなかに780名の流刑囚も含まれていたと言われている。オーストラリア大陸は流刑地として出発したのだった。その後、オーストラリアに日本での明治維新にあたる1868年までに15万8千人の囚人を送り込んでいる。
その背景に、イギリスは1775年にアメリカ独立戦争で敗北したことがあげられる。その時点で流刑地としてのアメリカを失ったという事情があり、どこかアメリカに代わる適地はないか、と新たな流刑地を探しているところだったのだ。オーストラリアが手に入ったことは、まさに渡りに船という気分だったに違いない。
そんな状況のなかで、オーストラリアのなかでも、もっとも早い時期に植民地化されたタスマニアには、シドニーに次いで、いち早く流刑所が整備された。それがホバート市内にある「ポートアーサー流刑場跡」だ。
いまではその歴史資料的価値から、世界文化遺産にも登録されている。そこでは、当時のままの監獄を見ることができる。個室にはテーブルとイス、そして部屋の隅には便器も置かれていた。
見学者用の男子トイレは、ごくシンプルな黒と白を基調にデザインされていた。薄暗い牢獄を出ると、四囲を水路で仕切られた監獄の島は、学校や教会などの建物、豊かな水辺と庭園、農園、緑地があふれ、そしてトイレも整備されていた。どんな場所にもトイレが必要なんだ、と妙な気持で得心した。
ワイングラスベイとクレイドル山
タスマニア島の東海岸にあるフレシネ国立公園で一番人気の名勝地ワイングラスベイを訪ねる。海沿いに山地が連なる同公園は、複雑な入り江が海岸を縁取り、その眺めは圧巻だ。薄いブルー一色のカクテルを満たしたワイングラスが海に浮いていた。それが、ワイングラスベイだ。その景観を写真と地形解説で案内するパネルも、本物に負けず劣らず素晴らしい。近くに立地する公衆トイレは24時間、利用可とあった。夜間の観光客もいるのだろうか。安全面の心配はないのだろうか。
自然美を存分に楽しんで、今回の旅のハイライトであるタスマニア島の最高峰・クレイドル山(1545m)に向う。いよいよ今回の主目的である本格的登山である。岩壁が連なる景観も避難小屋も観光資産として申し分ない。
トイレは広々とした草原に建てられた汲み取り・容器搬出式だが、臭気もなく快適だった。山を下りて、登山拠点から遙かなるクレイドル山を遠望する。澄んだ湖を前景にして、クレイドル山は雄大で荒々しい姿を屹立させていた。南極に3番目に近い島・タスマニアは、間違いなく自然の宝庫であり、そこに辺境の片鱗を見た気がした。
(註)本紀行は、2020年2月初旬のタスマニア島訪問をもとに作稿した。当時は新型コロナウイルス感染症対策に関連した、日本からの入国制限はなかった。
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