日本トイレ研究所ではトイレや排泄に関する「トイレラボ勉強会」を開催しています。今回は、特別開催として北鎌倉にある臨済宗大本山 円覚寺で実施した法話・坐禅会から、臨済宗円覚寺派管長の横田 南嶺さんの法話を抜粋して紹介します。
臨済宗円覚寺派管長 横田 南嶺さんの法話の様子
自分を内側から照らす
私たちは常にだれかと自分を比べています。衣裳や学歴やプライドなど様々なものを身につけ、人と比べて得意になったり落ち込んだりしているのが普段の営みです。
臨済禅師の言葉に「回光返照(えこうへんしょう)」があります。これは、外へ向かう光を自分自身の内に返してみるという意味で、自分の外を見て、人と比べるのをやめて、自分を内側から照らしてみましょうという言葉です。
人間の活動は、目も耳もすべて外のものを見て聞いて反応するようにできています。自分で自分を見るということは少ないと思います。しかし禅で大事にしていることは、自分自身を照らすことです。
本来の自己の基底に落ち着いて、本来の自分になることを実践するのが坐禅です。
臨済禅師の語ったことをまとめたのが『臨済録』という書物です。そのなかに出てくる話のひとつに、こうしたものがあります。
ある美しい青年がいつも鏡を見てそれを楽しみにしていました。ところがある朝、鏡に自分の姿が映らなかったため、自分の頭を探しに町に出かけたところ、それを見た人々が頭はそこにあるじゃないかと言ったというお話です。
この話をもっと一般の人にわかりやすくするにはどうすればいいかと考えて、私が思いついたのが、絵本『パンダはどこにいる?』です。
パンダはどこにいる?
みんなが大好きなパンダを一目見たいと、あるパンダが動物園の行列に並びました。
でも周りからは「あなたはパンダなんだから、パンダを見るためにならぶ必要はないですよ」と行列から押し出されてしまいます。
パンダは自分自身を見たことがないので、自分がパンダであることを知らないのです。
がっかりしたパンダは、なんとか自分もパンダになりたいと、図鑑で調べて笹を食べたり木登りをしたり、目の周りを黒く塗ったりします。それでも自分がパンダであることに気がつきません。
ある日、パンダは水たまりに足を滑らせて転びました。水たまりに映った自分を見たところ、自分がパンダであることにようやく気がつきました。
それからは好きなようにくつろいで生きることができるようになり、周りの人もその様子をみて、心が癒されるようになりました。
仏教では仏になることを理想としています。仏とは現在では亡くなった人のことを指す言葉になっていますが、本来は生きている人間のことで、慈悲の心(思いやりや慈しみ)に充ちた完成された人格です。
人はだれしも本来、生れながらにこの慈悲の心を持っています。しかしそれに気づかずに外に向って仏を求めています。パンダもまた、自分がはじめからパンダだと気づかずに迷いました。
人も自ら仏であると自覚すれば、周りの人に安らぎを与えることができます。あなた自身が仏の心を持っている素晴らしい存在なのだと気づいてもらえたら、嬉しく思います。
人間の尊さは「大便をしたり小便したり…それがすべて」
臨済録では人間の尊さを色々な角度から説いています。
臨済禅師は、人間はただありのままで尊いと言われていますが、ありのままとは「大便をしたり小便したり着物を着たりご飯を食べたり、疲れたら横になる、それがすべてだ」と説かれています。
人間の尊厳とは何かと考えると、特別の業績を残したり才能があるということも確かに素晴らしいけれども、やがてはほとんどの人が「大便をしたり小便したり着物を着たりご飯を食べたり横になる」だけの暮らしになるのではないでしょうか。
そうなったときに、人間の尊さの基準を「何かの業績を成し遂げたこと」においていると、自分は役に立たない人間になってしまったと失望を感じるでしょう。
しかし臨済禅師が説かれたように、「大便をしたり小便したり着物を着たりご飯を食べたり疲れたら横になること」に基準をおいていたら、たとえ寝たきりになったとしても悲観せずに仏法の真実を体現していると、堂々としていることができるのではないでしょうか。
円覚寺の日本庭園
腰を立てることから主体性が始まる
学問というものは、自分の外の世界を学ぶものです。しかし禅は外の世界ではなく自己を見つめる教えです。自己とは何かを究明していけば、この身に地位、名誉、財産、学歴、性別などに汚されることのない素晴らしい人間性が具わっていることに気がつくことができます。
これを臨済禅師は「無位(位のつけようがない)の真人」と呼びました。
真の自己に目覚めることができたら、どんな状況でも主体性をもって生きることができます。
主体性をもつにはまず「腰骨を立てること」です。腰が抜けていたり腰が引けていると主体性は生まれません。
腰を立てて下腹に気を集めてゆったりと呼吸をします。それが坐禅です。坐禅することで主体性をもっていきいきと働くことができるようになります。そのいきいき働く様子を臨済禅師は「活潑潑地(かっぱつぱつじ)」と表現しています。
腰骨を立てて下腹を充実させ、呼吸を整えて、感情を波立たせずに、正しく知恵を働かせて、この現実の世の中をいきいきと生きて行くのが坐禅の道です。
(文章:日本トイレ研究所)
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