災害時のトイレ

3.11のトイレ|被災と避難所生活とトイレの関係

山田 葉子
山田 葉子
一般社団法人キャンナス東北 スタッフ

2021/03/11

私は2011年3月11日の東日本大震災を宮城県石巻市渡波(わたのは)地区で経験しました。

地震によって津波が発生することや、避難をすること、避難所生活をすること、自宅が被災して仮設住宅で生活する可能性や、その際の入居要件や被災した後の罹災証明などについても、家族と話していた中での発生でしたので、実際、今まで経験したことがないほどの揺れを感じたときには「とうとう来たか!」と、予想されていた宮城県沖地震が来た!と思いました。

地震は自宅からほど近い(車で数分)の取引先で経験しましたので、防災無線や車のラジオから津波の危険を知らせる内容が入ってきていましたので、自宅にいる母や、透析から帰宅したばかりの兄を迎えに自宅へ戻り、近隣の人にも声をかけて指定避難所だった「石巻市立渡波小学校」へ避難しました。学校は平地でしたが「避難所=体育館」のイメージが強く、津波が来るというのに校舎ではなく体育館へ避難をしました。

避難先のトイレが使えない

東日本大震災において、避難所で問題となった施設・設備
(出典:文部科学省「災害に強い学校施設の在り方について~津波対策及び避難所としての防災機能の強化~」

体育館へ避難してから間もなく、渡波地区も大きな津波に飲み込まれ、学校があったところも2m近い波に押し寄せられて、体育館は外と切り離されました。

渡波小学校避難所は、発災当日は体育館約400人、校舎約400人、合わせて約800人の避難者でしたが、翌日には体育館約800人、校舎約1200人、合計約2000人の、市内でも5本の指に入るマンモス避難所で、その中でも被害の大きな地域にある避難所でした。

体育館自体は平成13年に立て直したばかりで津波にも耐えられたのですが、体育館にあったトイレは津波の影響で下水から逆流があり使用できず、学校の備蓄トイレも校舎にあり体育館では使用できませんでした。

衣装ケースを応急的なトイレに

飲食は我慢できますが、排せつは我慢できません…。

その時に体育館にいた学校関係者が体育館倉庫にあった「蓋つきの衣装ケース(大)」に入っていたビブスなどを出して、ステージ脇のスペースに暗幕でカーテン(手動)を準備し、応急的なトイレのスペースを作ってくれました。

使用した感想は「とても大変だった」の一言に尽きます。

衣装ケースは一番大きなサイズだったと思いますが、高さや幅もあり中腰になって用を足すけど、支えることもできずに衣装ケースに手をかけると、ケースについているキャスターが動くので踏ん張ることも難しい…。不特定多数の人の排便・排尿がそのままの状態であるところにバランスを崩して落ちてしまうかも…といった恐怖は、今思い返しても二度と経験したくはありません。

この衣装ケースのトイレは3日くらい続いたと思いますが、私は普段よりトイレに行く回数が少なくなっていたと思います。これは飲食をしていないからというだけではなく、精神的に「拒否」をしていたのだと思います。人によっては飲食していないけど数十分おきに通っている方もいました。これは「お腹を壊している」だけではなく、認知症の方などで「普段と違う」ことへの不安からの行動だったようにみえました。

当時40代で、一般的な身長(158㎝)の私でも衣装ケースをまたいで用を足すのが大変なのに、私よりも身長が低い方、高齢者、子どもといった人たちはもっと大変だったと思います。

避難所にいた人に、「一番大変だったことは?」と聞くと「トイレ」と応える人も多いのが実際です。

東日本大震災で仮設トイレが被災自治体の避難所に行き渡るまでの日数(回答29自治体)調査:名古屋大学エコトピア研究所 岡山朋子、協力:NPO法人日本トイレ研究所

個々が求めるトイレ環境が違った

その後に設置された仮設トイレは洋式と和式がありましたが、男性用・女性用と分けることはできませんでした。
男女のトイレを分けようと議題に上がったこともありましたが、体育館と校舎に避難している人たちでは求めるものが違っており、最終的にはすべて共有となりました。

震災から時間が経ち、仮設トイレの数を減らす際には、洋式タイプを残すことになったことに対し、一部の保護者からは和式も残してほしいと意見がありました。理由は「子供たちが使うのに誰が使用したかわからない便座に座らせたくない」とのことでした。

和式と洋式では設置業者が違ったため、和式を残すことはできませんでしたので、除菌シートを渡して個別に対応をお願いしましたが、避難生活が長期化する中で個々が求める「トイレ環境」の違いを感じたときでもありました。

4か月以上経ってもトイレが復旧しない地域も

災害時のトイレの問題は避難所以外でも起きていました。

私の友人宅では地盤沈下の大きな地域でしたので、震災から4カ月以上経った時でもトイレは大便の時以外には流せず、紙も流せないといった状態でした。

私は被災前に災害時についていろいろ考えていましたが、「トイレ」については考えていなかったことに、この震災で気づきました。

東日本大震災被災自治体におけるライフライン別の仮復旧までの日数(回答29自治体)
調査:NPO法人日本トイレ研究所

「自分たちにあったトイレの備蓄」を

今、震災から10年がたち、震災のことを伝える活動をしている中で必ず話しているのが「災害用トイレの備蓄」についてです。
トイレの備蓄をしている方も増えてはいますが、実際、使い方や使用後の処理まできちんと家族と話せている人が少ないことが多いので、家族と一緒に「自分たちにあったトイレの備蓄」を考えてくれる方が増えるように願いながら話しています。

災害時でもストレスのない「トイレ環境」が当たり前になりますように…。

山田 葉子
山田 葉子
一般社団法人キャンナス東北 スタッフ

昭和42年宮城県石巻市生まれ。小学校5年生の時に宮城県沖地震を経験。東日本大震災では津波で自宅が全壊。避難した避難所でボランティア看護師の手伝いを経て、避難所本部の運営に関わり、その後避難所で出会った「キャンナス東北」の現地スタッフとなる。災害時のトイレについて災害前に備えることの大切さを伝える活動中。

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