災害時のトイレ

3.11トイレと私

井上 きみどり
井上 きみどり
取材漫画家

2021/04/22

激震の瞬間にとった行動

2011年3月11日は東京から仙台へ移住して11年目の春でした。

その年の2年前から取材漫画家に転向した私は、女性の闘病記を漫画で伝える連載の最終回を制作中で、休校のため自宅学習中だった娘と在宅していました。
あの激震の最中に私がとった行動は、リビングで勉強をしていた娘のところへ仕事部屋から文字通り駆けつけたこと、そして既にテーブルの下で身を屈めていた娘に、窓の外の現実離れした状況を見せないよう、娘の頭を抱きかかえたこと。
自宅は崖の上に建つ67戸の集合住宅の1階で、庭のエクステリアと向かいの2階建ての瀟洒な家屋が逆方向に激しく揺れ動く信じられない光景を睨みつつ、娘を抱きかかえて長く続く揺れに耐えました。

揺れがおさまると、私は何かのスイッチが入ったように、出口やガス、電気の安全確認、水が出るうちに風呂場の浴槽に水を貯めるなど、体が自然に動き始めました。私は関西生まれで阪神淡路大震災では親族が家を失った経験があるせいか、仙台移住以来、「必ず起こる」と言われていた宮城県沖地震に対して、緊張感を持って生活していたように思います。水や乾電池、携帯トイレを備蓄する、胸の位置より高い場所に家具や生活用品を置かない、自宅の食器棚はすべて耐震ハッチにするなど自分なりに策を講じていたうえに、自宅は沿岸部から約10キロ離れた内陸にあり、津波被害に遭わなかったため、被災後の衣食住には特に困ることなく過ごすことができました。

我が家のトイレから汚水が逆流

しかし唯一困ったのはトイレ。まったく想定していなかったことですが、発災後4日目に自宅のトイレの便器から「ボコッボコッ」という、何やら異様な音が響き、突如マンション全戸のトイレ排水が我が家の便器から溢れ始めたのです。
何が起こっているかもわからないまま、家族4人総出で風呂場の手桶を使って溢れる汚水をすくい、外の排水用マンホールをこじ開けて流す作業を数時間続けました。

後でわかったことですが、本震で私たちが住む1階の自宅下にあったトイレ用排水管が部分的に潰れ、流れず日増しに溜まっていった上階のトイレ排水が、一気に私たちのトイレから溢れたということでした。
その後、住居下の排水管修復工事のため、我が家の東側のベランダは取り壊され、工事が終了するまでの3週間はマンション全戸でトイレ使用禁止になり、67世帯の住人は駐車場に設置された、たった1基の仮設トイレを共有することになりました。

トイレへ行くことが苦痛に

トイレの順番待ちをしている人々の会話が聴こえる中、薄いプラスチックの扉越しにお尻を出して用を足す。それがどれほど緊張するものか。そんな小さなストレスを毎日繰り返し感じるうちに、トイレへ行くことが苦痛になっていきました。
3週間後、工事が終了して自宅トイレが使用可能になり、初めて用を足した時の感動は忘れられません。しっかりとした壁で守られた空間に安定した便器があり、足を床に着けて踏ん張ることができる安心感。トイレは安心できる場であるべきという、当たり前のことに気づかされた瞬間でした。「これで大丈夫!」そんな言葉が私の口から自然と湧き出ました。

その言葉と同じフレーズに出会ったのはそれから1ヶ月後。日本トイレ研究所が開催した被災地のトイレ清掃活動を、仙台から合流し、取材漫画家として同行取材させてもらった2011年4月下旬のことでした。気仙沼の避難所を一緒に訪問させてもらい、避難生活における排泄の調査、避難所のトイレ環境改善のための活動を取材し、「わたしたちの震災物語」(集英社刊)という漫画で発表しました。

「安心してトイレに行けるから、もう大丈夫!」

前述の言葉に出会ったのは、小規模避難所に設置された3基の仮設トイレの清掃活動が終わったときのこと。小学生の男の子がクンクンと鼻を鳴らし、放った言葉が私と同じ「これで大丈夫!」だったのです。その意味を尋ねると「今まで仮設トイレは臭くて汚くて、ドアを開けるのが怖かった。でもトイレ掃除をしてもらって匂いがなくなったから、もうドキドキしながらドアを開けなくていい。安心してトイレに行けるから、もう大丈夫!」と、上気した笑顔で返してくれました。
私たちの日常生活の中では、平時有事の別なく、安全で安心できるトイレがいかに大きな支えになるか、改めて知らされた瞬間でした。

災害用マンホールトイレの説明版

震災の体験を、身を守る術に

あれから10年を迎えようとしていた今年2021年2月、東北では東日本大震災の余震と言われる、震度6強の地震が発生しました。あの時、小学5年生だった次女は大学3年生になり、地震発生と共に出口を確保し、10年前に長女が身を屈めていたテーブルの下に潜り、「ネット環境が混乱して不通にならない間に」とすばやく家族の安否確認を始めました。あの大きな災害を経験し、身を守るスキルを身につけた娘の姿から、私は人間のたくましさを感じました。そしてその後安否を確認した友人、知人の様子からも、東北の人々が10年前の経験から多くのことを学び、災害に対しスキルアップしていることを実感しました。
2万人が犠牲になった震災は悲しい惨事に間違いありません。しかし東北の人々はそれを「悲しい過去の思い出」にとどめなかった。10年の時間の中で未来を守る術に変えた。それは東北の誇りと言っても良いと感じています。

災害用マンホールトイレの設置ができる、マンホール

余震の揺れが収まったのち、娘が最初に呟いたのは「排水管、大丈夫かな?」という一言でした。
私の二人の娘に植え込まれた「地震=トイレ排水の心配」という揺るぎない構図は、きっと一生消えることはないと思います。

井上 きみどり
井上 きみどり
取材漫画家

仙台市在住の取材漫画家
震災復興、福島の問題、女性と子どもの病気、国際協力、ジェンダーなどをテーマに作品を発表。著作は『半ダース介護』(集英社刊)『ふくしまノート』(竹書房)『これって、甲状腺の病気のせいだったの?』(K&M出版)他。

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