感染症予防のため避難所を巡回
東日本大震災の発生から、早いもので10年が過ぎました。あの時を振り返り、今だから話せるトイレにまつわる思い出深いエピソードを紹介したいと思います。
当時私は、石巻赤十字病院で看護師として働いていました。「感染管理認定看護師」という資格をもち、病院内外で感染症の流行を防ぐための教育や指導などを専門に仕事をしていました。2011年3月11日の東日本大震災発災時も、避難所での感染性胃腸炎やインフルエンザの流行を防ぐため、避難所を巡回しトイレや居住空間等の評価や、改善に向けたアドバイスなどを繰り返し実施していました。
今回紹介するエピソードは、発災から2~3日後に病院の中で出会った女性についてのお話です。
野戦病院と化した院内
発災から2~3日後の病院は、津波の中から命からがら助け出されてきた傷病者であふれかえっていました。野戦病院と化した院内は、不眠不休で働く病院スタッフが慌ただしく走り回っており、私もその一人でした。
あの日、ごった返す病院のロビーを通り抜けようとしたところ、床に座り込む30歳代半ばくらいの女性(仮称Aさん)に声をかけられました。「すみません、トイレに行きたいのですが、連れてってもらえませんか。」一見けがをしているようには見えなかったので、私はAさんに「歩けますか?」と尋ねました。するとAさんは「足をけがしているので歩けません」と答えました。私は車椅子を用意しAさんを乗せてトイレに連れて行きました。
発災後の当院は、沿岸部から離れていたことで津波による被害を免れ、免震構造や非常用電源、水の備蓄も万全だったことから、すべての病院機能が保たれていました。そのため、トイレも手洗いも通常通り使用することが可能だったのです。
話は戻り、私はAさんを車椅子用トイレに連れていき、トイレに移るのを介助しました。ズボンを下すのが大変そうだったので、ズボンを下すのを手伝いました。すると、Aさんの下半身は、何か大きな障害物が衝突したかのように赤黒いあざだらけだったことに気づきました。
私はこの時はじめて、Aさんは津波にのまれ命からがら病院にたどり着いたのだと知り、言葉を失いました。Aさんを便座に座らせたあと、ドアの外に出てAさんの排泄が終わるのを待ちました。排泄が終わったあと、私は個室に入りAさんに「大変でしたね」と一言だけ声をかけました。するとAさんは、便座に座ったまま両手を顔にあて、わーっと泣き出しました。「保育園に子供を迎えに行く途中で津波にあって…。子供とはまだ会えていないんです…」と。
私はその言葉を聞き、胸が締め付けられ、津波の恐ろしさを身近に感じるとともに、Aさんにどのような言葉をかけてあげたら良いのか考えあぐねていました。私はただ、Aさんのそばでそっと背中に手をあてて、好きなだけトイレで泣いてもらうことしかできませんでした。ひとしきり泣いた後、Aさんは「ありがとう」と言って立ち上がり、手を洗い、鏡で身なりを整え、またもとの場所に戻っていきました。
トイレに必要なことは
私はこのAさんとの出来事が今でも忘れられません。あの時のAさんは今どうしているのかな、子供とは生きて会うことができたのかな、と時々考えることがあります。またあの時Aさんはなぜトイレで泣いたのかを考えると、トイレの環境があまりにも外界とは違っていて(沿岸部は壊滅状態、病院内は野戦病院と化していたが、トイレだけは普段と変わらず整然としていた)、Aさんにとってはひと時でもトイレに安らぎを感じ、ほっとできたのかなと考えています。
そしてこの出来事を機に、トイレという空間はいついかなる時も、人々にとって安らぎを与えられる場所であってほしいと考えるようになりました。そのためには、災害時であっても普段と変わらずトイレが利用できること、トイレが清潔に管理されていること、女性や子供、高齢者・障害者が使いやすい構造であること、などが求められてきます。
災害時もトイレを安らぎの場所にしたい
東日本大震災では、多くの避難所のトイレでそれを実現することはできず、汚物であふれかえっているトイレも少なくありませんでした。おそらく今後の災害でも一時的にはそのような状況になるでしょう。しかし、可能な限り不快な状況を短期間で取り除く努力はできます。
災害時に快適なトイレ環境を少しでも実現するためには、一人ひとりが防災意識を高く持ち、日々の防災訓練の中でトイレの環境について住民と一緒に話し合うことから始めてみてはいかがでしょうか。
今の気持ちを表してみよう!
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